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福岡高等裁判所 昭和26年(う)3055号 判決

控訴人 検察官 納富恒憲

被告人 矢ケ部勇

検察官 白土八郎関与

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役三年六月に処する。

原審における未決勾留日数中百日を右本刑に算入する。

原審並びに当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。」

理由

白土検事の陳述した控訴趣意は、検事納富恒憲名義の控訴趣意書に記載のとおりであるから、ここに之を引用する。

控訴趣意第一点(法令の適用の誤)について、

昭和二六年三月一七日正午頃、福岡県山門郡東山村大字平田一五五六坂田斗一方において、予て大牟田市警察署より被告人を窃盗指名犯人として逮捕方手配があつたため、三山地区警察署勤務国家地方警察巡査辻田千秋、同福原高の両名が依命逮捕に赴き、被告人に対し「君は矢ケ部だろう大牟田警察署よりの指名手配により逮捕する」旨告げて手錠を掛けんとするや、被告人は自分が矢ケ部なることを否認し、同巡査等が指名犯人逮捕のため職務執行中なることを知悉しながら、飽くまで逃亡せんとし、坂田方八畳の座敷又は同家西南方畑中において、右両巡査に対し湯呑茶碗を投付け、そのネクタイを引き締め、或は睾丸を握つたり、火鉢の灰を投付け又は椽側障子を振り廻す等暴行し、因て同巡査等に夫々全治十日間を要する傷害を蒙らしめたこと、右逮捕当時被告人に対して窃盗の被疑事実による裁判官の逮捕状が発せられていたこと、しかし前記同巡査は急速を要する場合であつたため、右令状を所持せずに逮捕に赴いたのであるが、逮捕するに際しては被告人に対し「窃盗の嫌疑で逮捕状が発せられている」旨告げたことは、原審公判調書中の被告人並に証人辻田千秋、同福原高の各供述記載、司法警察員作成の辻田千秋、福原高の各供述調書、医師斎藤時郎作成の各医証によつて之を認めるに十分である。ところで、検察官の論旨は、刑事訴訟法第二〇一条第二項により逮捕状による逮捕の手続に準用せらるる同法第七三条第三項によれば、逮捕状を所持しない場合においても急速を要するときは被疑事実の要旨及び令状が発せられている旨を告げて被疑者を逮捕することができるのであるが、かかる緊急執行の場合においては、窃盗の嫌疑にて逮捕状が発せられている旨を告げた程度でも、同法第七三条第三項にいう被疑事実の要旨を告げたものと解するのが、すでに緊急執行という簡便な執行を認めた立法の精神に照し正当であり、現下多数に上る指名犯人の機動的且つ能率的検挙の要請にも叶う実際的見解である。そして、かような解釈を採つたからとて、前記法第七三条第三項但書によれば、緊急執行をした場合には令状はできる限り速やかに之を示さなければならないのだから、被疑者としては何等の実害も受けないのであるというのである。しかしながら、刑事訴訟法は其の他の法令と共に日本国憲法の制定の趣旨に適合するようにこれを解釈し、又は改廃せられなければならないことは云うまでもない。それ故、右憲法で新設された第三三条第三四条前段の趣旨に適合するように勾引状、勾留状の記載要件の一として旧刑事訴訟法第九七条第一項においては被告事件即ち罪名丈を記載すれば足りたのに反し、新刑事訴訟法第六四条第一項においては、罪名の外に、公訴事実(被疑事実)の要旨をも記載しなければならなくなつたのであるし、第二〇〇条第一項において規定する逮捕状の記載要件に関しても同様である。かような刑事訴訟法改正の経緯及び右の如く罪名と事実の要旨の列記を要請していることと、前記新刑事訴訟法第七三条第一項第二項及び同法第二〇一条第一項に明記するように勾引状勾留状及び逮捕状等の令状の執行は本来罪名の外に公訴事実(被疑事実)の要旨を記載した令状を被告人(被疑者)に示さなければならないのに、同法第七三条第三項、第二〇一条第二項が犯人の機動的且つ能率的検挙という実際的要請に応え「急速を要するとき」という条件の下に特に令状を所持していない場合にも執行を許そうという例外的措置を規定した趣旨に鑑みるときは「右にいう罪名と事実の要旨とは同意語ではなく又右に所謂令状の緊急執行の場合は令状を示す代りに令状が発せられていることを告げると共に、令状に記載されている公訴事実(又は被疑事実)の要旨を告げなければならず単に罪名を告げただけでは足りないと云わなければならぬ」そうだとすると、本件逮捕の場合、前記辻田、福原両巡査は単に被告人に対し単に窃盗の嫌疑により逮捕状が発せられている旨即ち罪名を告げたのみで、被疑事実の要旨は告げていないのだから、前記法条所定の逮捕状の緊急執行の手続要件を欠如するもので、到底該逮捕を目して適法な逮捕とは称し難い。しかし、右逮捕が不適法だからという理由から、直に本件被告人の前示所為が公務執行妨害罪を構成しないものと速断してはならない。公務執行妨害罪は、公務員がその一般的権限に属する事項に関し法令に定める手続に準拠してその職務を執行するに当り之に対し暴行又は脅迫を為すによつて成立するもので、仮令、当該手続に関する法規の解釈適用を誤まりたるため手続上の要件を充たさない場合と雖も、一応その行為が形式的に公務員の適法な執行行為と認められる以上、公務執行妨害の成立を妨ぐるものではない。本件において、前示辻田、福原両巡査は、予て被告人に対し窃盗の指名犯人として裁判官の逮捕状の発せられていることを知り、之が緊急執行のため右令状を所持しないまま被告人の依命逮捕に赴きたるもので、かかる場合の逮捕の手続としては刑事訴訟法第七三条第三項に従い被執行者に対し被疑事実の要旨即ち或る程度の被疑事実の内容と令状が発せられている旨を告げなければならないのを、誤解して、単に罪名と令状が発せられている旨を告げれば足るものと考え、被告人に対し窃盗の嫌疑により逮捕状が発せられている旨を告げて逮捕せんとしたのであるから、該逮捕行為は法令に定める手続に違背し違法ではあるが、その違法の程度は全然被疑事実を告げなかつた場合と異り強度のものとは云えず、なお一般の見解上、一応形式的には前記巡査等の一般的権限に属する適法な職務執行行為と称し得ないことはない。従つて被告人が同巡査等の右職務執行に当り前記暴行を加えた所為は当然公務執行妨害罪を構成するものと云わなければならない。それ故、原判決が前記巡査等の逮捕行為は手続上不適法であつたという丈の理由で輙く被告人の之に対する暴行は何等罪とならないと判断したことは、法令の解釈適用を誤つたものと云うべく、この誤は判決に影響を及ぼすことは明かであるから、論旨は結局理由があり、原判決はこの点において破棄を免れない。

依つて検察官の爾余の論旨に対する判断を省略し、刑事訴訟法第三九七条に則り、原判決を破棄し、更に同法第四〇〇条但書を適用すべき場合と認め、次のように自ら判決する。

当裁判所が認定する被告人の犯罪事実中窃盗事実並に之を認める証拠は「被告人の当公廷における供述」とあるのを、「被告人の原審公判調書中における供述記載」と読み替える外、総て原判決に示されたところ(起訴状追起訴状及訴因変更請求書記載の事実)と同一であるから、ここに之を引用し、公務執行妨害傷害の事実並に之を認める証拠は左のとおりである。

被告人は昭和二六年三月一七日その所属の劇団坂東歌門一座の興行場たる福岡県山門郡東山村大字平田一五五六坂田一斗方に滞在中同県三山地区警察署勤務国家地方警察巡査辻田千秋、同福原高の両名は、予て被告人に対し大牟田市警察署から窃盗指名犯人として逮捕方手配があり裁判官の逮捕状も出ていることを知つていたので、同日正午頃右坂田方に急遽依命逮捕に赴き、被告人に対し「君は矢ケ部だろう、大牟田警察署よりの指名手配により逮捕する」と告げ手錠を掛けんとすると、被告人は「自分はそんなものではない、原田一郎だ」と、頑強に矢ケ部勇なることを否認して逮捕を拒み、なお右両巡査から同家八畳の座敷に対座中、窃盗の嫌疑により裁判官の逮捕状が発せられている旨告げらるるも、飽くまで逃亡を図り同巡査等が犯人逮捕のため職務執行中なることを知りながら、矢庭に辻田巡査に対し自己の所持する湯呑茶碇をその前額部に投付けて、その場を逃げ出し、追跡せられて同家西南方畑中に到るや、同巡査のネクタイを引き締め或は睾丸を握る等暴行したが、再び前座敷に引き戻さるるや、更に同所の角火鉢の灰を同巡査に投付け、緑側障子を排して逃亡を企て、同人及福原両巡査に逮捕せられんとするや、該障子を盾にして振り廻す等暴行して両巡査の公務執行を妨害し、因て前記暴行中辻田巡査に対し前額部割創鼻尖部皮膚剥離等全治十日間を、又福原巡査に対し左腕関節捻挫及び擦過傷等全治十日間を要する各傷害を蒙らしめたものである。

右事実は、

一、被告人及び証人辻田千秋、同福原高の原審公判調書中の各供述記載

一、司法警察員作成の辻田千秋、福原高の各供述調書の供述記載

一、司法警察員作成の実況見分書(添付の見取図写真共)

一、医師斎藤時郎作成の辻田千秋、福原高に対する各医証の記載

を綜合して之を認める。

本件に対する法令の適用を示すと、左のとおりである。

各窃盗の点は刑法第二三五条第六〇条

各公務執行妨害の点は同法第九五条第一項(懲役刑選択)

各傷害の点は同法第二〇四条罰金等臨時措置法第二条第三条(懲役刑選択)

各公務執行妨害罪と各傷害は各一個の行為で二個の罪名にふれるので、刑法第五四条第一項前段第一〇条(各重い傷害の刑に従う)

以上は同法第四五条前段の併合罪だから、同法第四七条第一〇条(最も重いと認める昭和二五年二月一日大牟田市松原町緒方与曾吉方における衣類窃盗の刑に法定の加重をした刑期範囲内で処断)原審の未決勾留日数の通算に付同法第二一条

原審並に当審の訴訟費用の負担に付刑事訴訟法第一八一条第一項

以上の次第で、主文のように判決する。

(裁判長判事 筒井義彦 判事 川井立夫 判事 秦亘)

検察官の控訴趣意

第一、原判決は法令の適用に誤があつてその誤が判決に影響を及ぼすことは明らかである。

原判決は原判決掲記の証拠により被告人に対する第三の公訴事実(公務執行妨害並傷害の事実)を認めたのであるが司法巡査が被告人を逮捕するに際して窃盗の嫌疑で逮捕状が発せられている旨を告げたに止まり被疑事実の要旨を告げた形跡がないから右は適法な逮捕とは称し難く従つて本件逮捕に当り被告人の為した暴行は公務員の職務を執行するに当り之に対し暴行を加えたものとは断じ得ないと判断し被告人の暴行傷害は結局法律上の正当防衛の範囲に属するものと認められるから犯罪の成立を阻却するとなし無罪の言い渡しをしたのである。しかし、原審が被告人に対する公務執行妨害並傷害の公訴事実を証拠により認めながら右公訴事実が罪とならないと判断したことは法令の適用を誤つた違法があると思料する。

原審が証拠によつて認めている通り逮捕当時逮捕状が発せられていた事実並逮捕状執行の警察官が逮捕に際し被告人に対し窃盗の嫌疑で逮捕状が発せられている旨を告げた事実はこれを認むるに充分である。刑事訴訟法第二百一条第七十三条第三項によれば逮捕状を所持しない場合においても急速を要するときは被疑事実の要旨を告げて被疑者を逮捕することができるのであるがかかる緊急執行(同法第七十三条第三項)の場合においては窃盗の嫌疑にて逮捕状が発せられている旨を告げた程度にても同法第七十三条第三項所定の被疑事実の要旨を告げたものと認めるのが相当である。すでに緊急執行という簡便な執行を認めた立法の精神に照すならば窃盗(犯罪事実)の内容まで告げることを要求することは機動的な犯人検挙の能率を阻害し簡便執行の利点を奪うものである。現下警察の実情に照らすも逮捕状の発布を受けて指名手配する犯人の数は多数にのぼつているのであるからいちいち犯罪事実の内容を告げなければ緊急執行はできないと解することは、あまりに非実際的見解である。

刑事訴訟法第七十三条第三項によれば緊急執行を為した場合は令状はできる限り速やかにこれを示さなければならぬのであるから、逮捕に際して逮捕状が発せられていること及びその罪名を告げるに止つた場合といえども被疑者としては何等の実害も受けないのである。なお憲法第十二条はこの憲法が国民に保障する自由及び権利はこれを濫用してはならないのであつて常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負うと規定している。また、刑事訴訟規則第一条二項は訴訟上の権利は誠実にこれを行使し濫用してはならないと規定している。だから被疑者、被告人の権利の存否及内容も右両規定の精神に即してこれを解釈するのが相当であるから原審の前記判断には到底賛成することができない。

かりに緊急執行に際しては犯罪事実の要旨を告げなければならないし、これを告げることなくして逮捕することは原審の意見の通り適法な逮捕手続ではないとしても刑法第九十五条の公務の執行とはもとより適法なる公務執行でなければならないのではあるが、その適法なる公務執行と称し得るためには完全無欠な公務執行を意味するものではない。軽微な手続上の瑕疵は公務執行の適法性を失なわしめるものではないのである。大正七年五月十四日言い渡された大審院判決によれば「公務員が其の権限に属する事項に関し法令に於て定むる方式に準拠し其の職務を執行するに当り事実に付て錯誤を生じたる為め方式上の要件を充たさざる場合と雖も一応其の行為が公務員の適法なる行為として認め得らるるときは之を刑法第九十五条第一項に所謂公務員の職務執行と為すに妨げあることなし」といつている。さらに昭和七年三月二十四日にも同趣旨の大審院判決がある。木村教授は「其の適法性の判断は一般人の見解を標準と為し一般人の見解に於て一応公務員の職務執行行為なりと認められる場合に於ては其の職務執行行為は適法なりと解すべきである」と論じ判例と同趣旨の見解である。これが刑法学界の通説でもある。これ等判例学説の見解によれば緊急執行に際し被疑事実の内容を告ぐることなく、たんに窃盗の嫌疑で逮捕状が発せられている旨を告げたに止まる本件の事案は軽微な手続上の瑕疵があるだけであつて本件逮捕行為の適法性を否定し得るものではない。だから本件逮捕行為が刑法第九十五条第一項の適法なる公務執行であることはまことに明白であつて被告人の本件公務執行妨害並傷害の所為が犯罪を構成することは自明の理でなければならない。

第二、原判決は刑の量定が不当である。

控訴理由第一点において指摘した通り原審は有罪の判決を為すべき第三の公訴事実につき無罪の言い渡をしたためひいて量刑軽きに失する裁判をなしたのである。

以上の理由により原判決は破棄を免れないものと思料するから、さらに相当の判決を為すべきものと思料する。

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